世の中は抽象的なものであふれている

僕みたいな人にとっては,コンパクトハウスドルフ空間とか完備ハイティング代数なんかよりも,政府とか法律とかのほうがずっと抽象的に見えてるんじゃないか,などと思ったことがある。

そういえば,竹内外史『集合とはなにか』には「政府という見たこともないものが税金をとって行くという抽象的な現代社会」という記述があった。お金だって考えてみればずいぶん抽象的なものだけど,そんなことは普段の生活の中で意識することがない。

僕がどうして政府とか法律とかそういう言葉を抽象的だなあと思いながら毎日を過ごしていないかというと,きっとそれらの言葉を耳にすること自体には慣れているのだ。政府がどうしたとか,法律がどうなるとかいう文章は新聞なんかを見れば入ってくる。内容をどこまで理解しているかはともかく,言葉だけは子供のころから見聞きしてきたものだから,深く考えることなしに「そういうものが世の中にはあるものなんだろう」という気分になれるんじゃないだろうか。どんなに抽象的だったり不可解だったり,中身を理解していなかったりすることであっても,表面だけ見慣れてしまえば何とも思わなくなるものなのかもしれない。

聞き慣れた言葉が実は実体のよくわからないぼんやりしたものだと気付いて驚く,というような経験は好きなので大事にしたい。世の中はよく見れば,きっとわからないものであふれていると思う。