計画を立てる能力の話

研究計画ってどう作るものなんだろう,ということをちょっと前に考えた。こういう目標があって,そのためにはこういう問題を解決するとよくて,それはかくかくしかじかの道筋を辿ることで達成できる,というわけでこれからこういう手順で研究を進めていく。たぶん,ふつう目にする研究計画はそんな感じに書かれているんじゃないだろうか。そういうのを読んだり,論文の書き方や研究発表のしかたについての本を見たりしていると,だんだんそういうものだというイメージができてくる気がする。

視覚的には,木構造のイメージだと思う。上に頂点があって,下へ向かって広がりながら伸びる図を想像する。一番上にあるのが,最終的な目標。下にあるのは,上位の目標を達成するために踏もうとするステップ。そして,研究計画というのは上から下へ向かう形で語られるものだ。実際に計画が作られる経過がどうなのかはともかく,少なくとも建前としては,計画というのはそういう姿をしているのが普通なんだと思う。つまり,完成した計画を見せるときは上から下へ向かう形で見せるものだということだ。

どうも自分には,そういうふうに計画を組み立てることができないんじゃないかと,何年か前から思っている。まず目標を定めて,それからそこへ向かって進んでいく,ということができない。そういうことをした経験も,記憶を探ってみてもあまり思い当たらない。漠然とした「こういう感じのことをしたい」はあるような気がするけど,そこから一歩進んで具体的な目標を定めるということがうまくできていないのだと思っている。木構造でいうと,かなり上のほうに位置するであろうノードは何となくあっても,そこから下へ向かって順に枝を伸ばすことができていない。

考えてみればいままでの研究の様子にもそういう傾向が表れている気がする。僕のこれまでの研究の流れは,上位目標のために下位の目標を立ててから一つ一つ積み重ねてゴールに到達する,という形にはなっていない。最初は末端に位置するごく細かい技術的なことから始まって,うまいこと上に登れそうだったら,どれ梯子をかけてみるか,となる。それでうまくいけば論文になることもある,という感じだ。上に位置するべき目標らしきものがろくに定まらないままあれこれやっている,という言い方もできるだろう。かなり上のほうには漠然とした目標があるといえばあるような気はするが,そのかなり上位の目標と,実際に今やっている末端の細かいこととの間には結構な隔りがある……ような気がする。少なくとも,木構造のイメージにあてはめようとすると隔っているように感じられる。中間に位置するべきものが欠けているのだ。今やっているこの作業が完成したらどうなるのか,ということがはっきりしていなくて,上と下がつながらないまま,運よくどこかにつながったらもうけもの,という感じでやってきたように思える。

ときどき,もうちょっとなんとかならないかなと思う。