読書感想文: 抽象への憧れ

たまたま図書館で見かけて,タイトルに引かれて借りてみた本。

抽象への憧れ−位相空間:20世紀数学のパラダイム (大人のための数学 5)

抽象への憧れ−位相空間:20世紀数学のパラダイム (大人のための数学 5)

位相空間論の基礎的な諸概念を解説した本。でも普通の教科書とは毛色が違う。

典型的な位相の教科書に見られるような完成された理論としての位相空間論は,確かに整っていて美しい。でも,そういうふうにきれいにまとめられた結果だけを見ていてもなかなかわからないことがある。そういうことをこの本は教えてくれるんじゃないかと思った。

例えば,位相空間がその典型例であるように,「集合とその上の構造」という形で数学的対象を抽象的に導入することは現代では当たり前のようになっているが,このような姿勢が歴史的にみていかに斬新であったか,またそのような手法の確立がどれほど数学のあり方を変化させたか,といったことは普通の教科書ではあまり語られないと思う。他にも「位相空間」という概念の確立への Cantor, Hausdorff らの貢献,その背後にあった彼らの思想など,いくらか人文科学の香りのする(ような気がする)話題も出てくる。そういう意味では,位相空間を軸に据えた二十世紀前半の数学史の本として読むこともできるのかもしれない。

もっと個人的な感想としては,著者はどうやら自分とは違う感覚で位相を捉えているのだなあということをかなり感じた。専門分野の違いのせいだろうか。僕が普段扱う位相というと,だいたい順序や代数構造に由来する位相 (Scott domain とか Stone space とか) であって,距離空間なんかはほとんど使わない。こういう位相空間は,ユークリッド空間のような身近な空間のイメージとはあまり重ならない。

この本はまず「近づく」と「近さ」の対比から入るのだけど,最初はその対比が何を言おうとしているのかわからなかった。読み通してから振り返ってみて初めて,収束と近傍の関係のことをいいたかったのかなと思い当たった。

たぶん,著者とは違った位相に対する感覚を前提として読んでいたんだと思う。そのために「近づく」とか「近さ」で何が言いたいのかがなかなかつかめなかったのだろう。そう気付いてから思い返してみると,確かに普段,位相を扱うことはあっても点列の収束を考えることはあまりない。*1そういう背景を考慮すると,知っている位相の定義そのものは同じでも,使い方まで考えると僕の知っていた位相は著者の思うそれとは違うものだったと言ってもいいのかもしれない。その違いのせいで内容が飲み込みにくかったということなのだろう。

読んでいる間はそのようなことにあまり自覚的ではなく,技術的なことは一通り知っているのにこんな感じだったら知らない人が読んで理解できるんだろうかと思っていた。が,振り返ってよく考えてみると実際は逆なのかもしれない。本文中で語られるのは,著者の描こうとしている位相の姿である。それは,必ずしも自分が頭の中に思い描く位相のあり方と一致するわけではない。

これはあまり確かでない憶測だけど,もし読み手が著者の思うのとは違った位相の顔に慣れてしまっていると,自分のイメージと著者の書くことが一致しないだろう。自分は「わかっている」という気持ちがあるために,著者の記述から著者の意図を汲み取るのではなく,記述内容を自分の理解と整合させようとしてしまう。ところが著者は違うイメージを持って書いているのだから,そのような姿勢はうまくいかないかもしれない。そういうときに本当にすべきことは,今ある自分の理解を一旦忘れ,新しい側面を見ようとすることなのだと思う。でもそれは,一度ひとつの見方を身につけてしまうと難しくて,そのために結果として「よくわからない」を主要な感想として抱いてしまうのではないだろうか。

自分は位相がどういうものか知っている,知っているんだから読めば書いてあることはすぐに理解できるはずだ,とつい思ってしまうのだけど,実際にはそうとも限らない。よく知っていると思えるものにも自分の知らない側面があって,ここで語られているのはまさにその側面だったのだ。そういうわけで,本を読むときに,その本で語られているものを下手に知っているよりも,なにも知らないほうが余計なことを考えずに読めて素直に頭に入るということもあるのかもしれない。

*1:ω-CPO での極限は Scott 位相での点列の収束とみることもできるけど,どちらかというと順序集合での上限と思っていることが多い